野邊野神社 のべのじんじゃ

〒514-1121 三重県津市久居二ノ町1855番地

TEL  059-255-2768/FAX  059-255-5386

https://www.hisai-hachimangu.jp/

御社殿開門 6:00 -17:00

社務所受付 9:00 -17:00

ご参拝は24時間できます。

野邊野神社由緒

 主祭神: 品陀和氣命(第15代・應神天皇)

 相殿神: 十一座

   ・元久居西鷹跡町鎮座久居神社御祭神 藤堂高通公

   ・元藤堂家江戸下屋敷櫻稲荷神社右の御祭神 罔象女神(小戸木神社御分霊)

   ・元境内社浅間神社御祭神(冨士権現) 木花咲夜姫命

   ・元境内社天満神社御祭神 菅原道真公(京都・北野天満宮御分霊)

   ・元境内社金毘羅神社御祭神  大物主神(香川・金刀比羅宮御分霊)

   ・元境内社津島月読神社御祭神(祇園社) 須佐之男命(愛知・津島神社御分霊)、月夜見命

   ・元境内社朝日神社御祭神 天照大御神、大穴牟遲神、少毘古那神、八百萬神、蚶貝比売神、蛤貝比売神、宗忠大明神

   ・元久居万町鎮座愛宕神社御祭神(愛宕権現)  加具土命

   ・元久居万町鎮座愛宕神社境内社天満神社御祭神 菅原道真公

   ・元久居万町鎮座愛宕神社境内社國津神社御祭神  猿田彦大神

   ・元久居万町鎮座須賀神社御祭神(牛頭天王)  須佐之男命

 久居は昔「野邊野」と呼ばれていて、寛文九年(1669)に藤堂高通公(津藩祖である藤堂高虎公の孫)が分封の命を受け、この地に城を築き城下町を建設せられた。永久に鎮居するという願いを込めて「久居」と名付け、久居藩が生まれた。領内の小戸木村(旧鹿嶋村)に鎮座されていた八幡宮(創祀年代不詳)が「大守の御氏神・久居中の守護神」として崇められ、寛文十年(1670)十月二十日に小戸木村から御殿の鬼門(艮)の方位に当たる現在の地へ遷され、久居八幡宮として鎮座した。古くは神輿の担ぎ手は小戸木の青年に限られていた時代もあり、小戸木村は末代まで古氏子と言われる。

同年には醍醐寺三寶院の御直末寺として真言宗久居山長開寺福寿院が開基され、修験道場で藩主の元服式や厄除けの神事・領内の祈祷が行われた。当時は神仏混合であり、境内には八幡宮・宝殿・護摩堂があり、八幡宮の祭祀が別当により行われた。

爾来久居の総守護神・藩の祈願所として、代々藩主をはじめ領内住民の篤信を集め、祭礼等は藩を挙げて盛大に斎行された。芝居・狂言の他に奉納相撲などは江戸より力士を招き藩士や町人の力自慢も加わり、殊に賑やかに行われた。

明治維新の廃仏毀釈によって長開寺が廃寺となり、合祀は三重県では殊に著しく県内の神社が七分の一以下になり、明治四十一年四月に、久居城の築城と同時に帰依によって火除のために勧請された万町鎮座の愛宕神社(迦具土命)・久居藩祖である藤堂高通公の高徳を追慕して建立された西鷹跡鎮座の久居神社・外二十一社が久居八幡宮に合祀された。また社名が土地の旧名に因み「野邊野神社」と改称された。

廃藩後も毎年一月一日に久居藤堂家、二日には津藤堂家より幣帛が奉られた。明治三十九年に神饌幣帛料供進社に指定され、社格として村社に列せられた。

大東亜戦争終戦とともに社格が廃止され、津空襲があったが久居は戦災を免れた。但し、久居出身の戦没者を偲び、昭和四十一年四月に以前から境内にあった表忠碑の傍に久居英霊殿が造営された。神域での教育環境が幼児期に最良と考え、昭和四十四年に学校法人野辺野学園を設立。のべの幼稚園を開園し、翌年に九州・太宰府天満宮より御分霊を奉戴し、境内社として「野邊野天満宮」を鎮座。

平成二十四年十一月、本殿には県の銘木である尾鷲檜・幣殿は太平洋鉄木・土間拝殿にはバルセロナ産の石を用い、世界中から最良の材料を集めて建てられた神明造りの本殿と唐破風向拝寄せ棟造りの社殿が落成し、氏子崇敬者のご奉賛により野邊野神社の大神等の御神威が増された。久居はその名の通り気候温暖にして災害もなく、御神徳の賜と永久鎮居を祈る氏子・全国の崇敬者の篤い信仰を集めている。

境内社

野邊野稲荷社

祭神|倉稲魂命

京都・伏見稲荷大社より勧請せられ、五穀豊穣・商売繁昌・

各種産業の守護神として篤く信仰され、「願かけ稲荷」の

通称で親しまれている。

    

野邊野天満宮

祭神|菅原道真公

九州・太宰府天満宮より勧請せられ、学問の神様として信仰

されている。

    

壽命社

祭神|伊邪那岐命 伊邪那美命

万物の寿命を司る神様をお祀りし、健康長寿の信仰が篤い。 

    

久居英霊殿

祭神|久居の御英霊 九百八十余柱

護国の御英霊を偲び、昭和四十一年三月に造営された。

     

他 山の神 鹿島大神(武甕槌命)